はっきり言って、これを読んで実践できるやつは読まずともとっくに実践できてるし、「ほへ~」とか感心しながら読んでたやつ(要するに、おれ)は一生できない。だから、役に立つかは疑わしい。ただ、疑わしいからこそ繰り返し読める一冊になるし、座右の一冊になるだろう。

文章力を上げるための手法を町田康が語るエッセイ。感想を平文でまとめてみようとしてなかなか難しいことに気付くのだけれど、それは本書のエッセンスが町田に特有の語りの「ノリ」にこそ宿っているからなのだろう。それでもまとめてみる。

1.読書をして自分だけの「ノリ」を育てよう。
2.刺激を「ノリ」に変換できるように内蔵変換装置を育てよう。
3.「ノリ」のための内蔵変換装置の技法を育てよう。
4.「ノリ」とは形式と内容が相互作用していることを感じよう。
5.自分だけの「ノリ」がどこから生じているのか見つめよう。
などである。

ノリという言葉じたいは、本書のかなり後半にならないと出てこないのだが、ノリ重視は前半から一貫している姿勢である。ここで感心したのは、後半までこの言葉を敢えて隠したまま文章力(その形式、内容、動機)について語っていたことである。

「ノリ重視」と書けばわかりやすい。しかし、わかりやすいがゆえに、読者は納得してしまう。納得すると探究が終わってしまう。すなわち、読者をノらせることができなくなってしまう。それでは本当に伝えたかったノリそれ自体が伝わらない。

この塩梅が絶妙で、というか、町田の小説の術(すべ)そのものですよね。

創作に関するエッセイで生涯ベストの一冊になるでしょうし、途中で電子から紙の本に切り替えて書き込みながら読みました。

ところで、町田康が伝えたかった「ノリ」ってやつは、千葉雅也が『センスの哲学』で「ビート」「うねり」と呼んで説明しようとしていた概念と近く、『センスの哲学』は2024年の私のブック・オブ・ザ・イヤーの一冊なのだけれど、そういう意味でも本書が響いたのは納得である。

おれがノりやすいノリがここにあった。

ただまあ、冒頭にも書いた通り、率直に言って、俺は町田の言ってる内容それ自体(訓話と呼んでもよい)を半分は「ほんまか?」と疑いながら読んでいたし、読み終わってからも疑っているところはある。ただ、重要なのは、内容それ自体が疑わしいにもかかわらず、おれがノってしまった事実である。そこには確かに町田の術が存在するし、見せつけられていた。なんなら、術を解説してくれている。そういう本である。解説しているのなら、解読するのが礼儀である。

で、疑わしいからこそ繰り返し読める一冊になるし、座右の一冊になりますよ。

書きたい人(書いていて、自分のテツガクらしきものを持っていて、その上で、自在に書けるようになりたいと頭を抱えている人)は、『センスの哲学』(千葉雅也)と『俺の文章修行』(町田康)を読めばそれで十分なのではないか。たぶん、どちらにも、疑って読むべき雰囲気、のようなものが漂っている。そのために批判的な読み方が自ずとなされて、読みながら自分のマインドを見つめ直せるのじゃないかしら。

おれは舶来物のハウツー本も好きで読むんですが、あれって読みながらチェックリストに機械的にチェックしていく感じじゃないですか。その機械的さが好きでもあるんですけど味気なくもあって。この二冊って、読みながら問題文を作り上げないといけないし自由記述で答えないといけない感じがして、自分のレベルを上げるのは、マーク式と自由記述だったら絶対に後者ですよね。そういう感覚です。

俺の文章修行 (幻冬舎単行本)

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町田康

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センスの哲学 (文春e-book)

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