よしざきです。

かにパルサーさんから私信を受け取りました1。noteのコメントの500字制限に引っかかったのでブログで書きます。

よしざきさん、青ブタ大学生編にはいろいろ思うところがあったみたいやけど、イベントには行ってるんかい。今回感想書いたのも俺の中では勝手に半分私信みたいな気持ちだったんだけど。https://t.co/PXp6PhSRUZ

— かにパルサー (@E_foon2) 2026年3月7日

https://note.com/knpls/n/n33c22806c359note.com

アニメも放映から半年遅れてようやく見終わりました。

大学生編のアニメを観、大学生編のアニメイベントにも行き、それでもなお今でも全然「高校生編で終われたのに」とも感じています。一時期は「終わるべきだったのに」と信じていたので、幾分かマイルドになりました。

さておき、今回のかにパルサーさんの論考は、とても整理されていて感動しました。
大学生編のヒロインらって、基本的に咲太くんにとって他者としてやってきて、咲太くんとの交流を経ても尚ほとんど内輪になることなく去って行きました(美東さんのラストって、そういう明確な意図がなければ、お友だち的に現実世界に残す選択肢だってあり得たと思います)。

私の大学生編への解像度ってそれくらいだったので、きちんと読み込む方が読み込めばしっかりと大学生編の味わいがあるんですね。

とは言え、なんですが、私はそれでも上述のように感じています。その理由の一端が、かにパルサーさんの論考のおかげでクリアになりました。

端的に、私は『青春ブタ野郎』シリーズの続編に対して審美的に感動できなかったんだと思います。

その根源って、私の心に『青春ブタ野郎』シリーズが刺さったきっかけが古賀ちゃんという人物だった2からであるように思われます。

つまり、古賀ちゃんにめっちゃキャラ萌えしてました。

シリーズのクライマックスであるところの『ゆめみる少女』において、当初は小悪魔的な後輩キャラとして登場した彼女が主人公の唯一頼れる存在となったことに感動したんですよね。エモーショナルな感動であるし、クライマックスにおいてサブヒロインに新たな側面を付与できた手腕への感動でもあります。要するに古賀ちゃんというキャラクターが一人の人物として重層的に立ち上がってきて感動したんですよね。『ゆめみる少女』の牧之原さんのエピソードがストレートにエモーショナルだったところとはまた微妙にズレた文脈で、あのシーンが好きです。

まったく同じ理由で、大学生編の #夢見る 騒動で古賀ちゃんが長い夢を見たシーンにもまた心を動かされそうになりましたが。

ただ、大学生編で古賀ちゃんが長い夢を見たシーンって、彼女のいち機能であり、というかいち機能でしかなくて、高校生編で見せてくれたあの重層性が剥奪されてしまったシーンでもありました。

同じことは、大学生編に登場する高校生編の他のヒロインにも言えて、一度は重層的だったヒロインらが単なる機能になってしまったようで3、それが悲しかった。特定のシチュエーションで特定の台詞を発するのが機能(=function、関数)じゃなかったら他になんなんだよ。大学生編のヒロインが高校生編のヒロインに対応づけられることは分かる。よく分かる。

けれど、大学生編の構造って、高校生編のヒロインから重層性を剥奪してまで見たかったものではなかったですね。

これは、かにパルサーさんが大学生編に感動したのとまったく表裏一体で、だから私は感動できなかったのかな思います。

あと、大学生編の初っぱなの合コンシーンが本当に読むに耐えなくて、あれで出鼻を挫かれてしまったと振り返ります。

(おわり)


  1. ブログのアクセスにスパイクがあった時にはヤフーリアルタイム検索を行っています。 ↩︎

  2. 参照:230717 【青ブタ】古賀朋絵ちゃんが好きだ - 箱庭療法記 ↩︎

  3. 友人は「魂の籠もっていない仏像」とまで評していました。 ↩︎